言いたいことを人に話すと文章にするモチベーションがなくなるという話
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昔大量に日記を書いていた時期がある。
隙間なく文字が描いてある大学ノートが10冊程度だろうか。ある程度波はあったがそれらは2〜3年の間に集中して作成されたものだ。
ちょっと人生に疲れている時期だった。仕事もうまくいかず、恋人もおらず、友人とも距離を置いていた。その時期にひたすら日記を書いていた。常に机の上に、ノートが置いてあり、何かあるたびにそれに書いていた。 自分の意思で人と距離を置いていたつもりであったが、それでも何かは吐き出したいことがあったのだろう。その日にあった出来事とか読んだ本のこととか、考えたこととかがひたすら書かれている。今から考えるとかなり痛いことも描いてある黒歴史な記録である。
それがある時からパッタリ書かなくなってしまった。これといった理由はないのだが、日記を書かなくなった時期は仕事が順調に行き始めて、恋人や友人ができた時期と重なる。
人生が好転したから日記を書かなくなったのか、はたまた何か別の要因があり、それが人生を好転させ、さらに日記を書かなくさせたのかはわからない。
ひとつ言えるのは、人に話をすればそれにより良い意味でも悪い意味でも文章を書こうというモチベーションは失われてしまうということだ。
ブログに書こう!というネタを思いついた時、その内容を人に話すと文章化するモチベーションが失われてしまう。
何かを人に伝えたい!自分の話を聞いてほしい!という気持ちは人に話すことでも、文章にすることでも満たされるということである。
余談だが、昔、村上龍のエッセイが好きだった。「すべての男は消耗品である」とか「龍言飛語」とかをよく読んでいた。(小説はほとんど読んでいない)。そのエッセイのどこかで、村上龍は言いたいことがあるから小説を書く、というようなことを言っていた。ストーリーを読ませたい、とか娯楽や芸術性を求めるのではなくて、「伝えたいこと」、「主張したいこと」があるらしい。
面白い文章を書いていたブロガーの人とか、(昔はテキストサイトの管理人とか)が突然更新しなくなってしまうことが多い。
飽きたとか、仕事が忙しくなったとかいろんな理由があると思う。そんな中、一つ可能性として大きいと思うのはこれ↓である。
周りの人間関係に恵まれ、文章を書こう、表現しようというモチベーションが失われてしまった。
(多分幸せになったということなのですごくいいことだと思う)
結論。ブログを継続したければ、書こうと思ったネタは人に話してはいけない。
すべての男は消耗品である。VOL.1?VOL.13: 1984年8月?2013年9月 連載30周年記念・完全版
- 作者: 村上龍
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